2015.11.27

綴られた時間 第十回 原色千種昆蟲図譜

原色千種昆蟲図譜 文・写真 塩見 徹

 
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 子供の侵入を拒まない背丈の青草が茂る空き地、甘ったるい樹液と湿り気混じりの腐葉土の香り誘うクヌギ林。秘境に挑む探検隊の一員になりきった小さな身体は、虫かごを携え、片手に虫取り網を握りしめる。その純真は迷うことなく道無き道を進む。蝶やバッタを追いかけ、クワガタムシやカナブンの背中にめがけて手を伸ばす。
 昆虫図鑑は遥か遠くのフィールドに生息する昆虫達に自らの脳みそを接続する玉手箱のようなものだ。名称、学名、生息地、習性、雌雄の区別というメタデータの配列に精緻な図版が一枚加わると、脳内を駆け巡る想像は一気に揺るぎないリアルへと変換される。
「ひょっとしたら、このまだ見ぬ昆虫を、明日、僕は、捕まえるかもしれない。」
どれだけ拡散しても満ち溢れることのない無限の想像空間に、記名された昆虫が羽ばたき始める。

 

 原色千種昆蟲図譜の初版が刊行されたのは昭和8年。当時は昆虫採集が一つのブームとなっており、本書は重版につぐ重版となる人気ぶりだった。当時小学5年生だった漫画家・手塚治虫少年は同級生が学校に持ってきた本書を借り、食い入るように読んだという。そして第67図版に掲載されているオサムシを見つけ、本名の“治(おさむ)”に“虫(むし)”の一字を加え、ペンネームを手塚治虫にすることを決めた。以降、誰もが知る漫画家となる手塚氏の作品には、昆虫をモチーフとした登場人物や逸話が随所に描かれている。

 
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 著者の平山修次郎氏は、東京・井の頭公園の近くに個人の昆虫博物館「平山昆虫博物館」を開いていた。多くの昆虫図鑑を手がけるなど、当時の昆虫愛好家にとっては大きな影響力をもっていた。手塚治虫少年も例外ではなく、はるばる郷里の宝塚から平山昆虫博物館を訪ねたほどであった。平山氏が創り出す昆虫標本は当時の同業者の目から見ても、極めて優れたものだったそうだ。
 本書には文字通り千種を超す昆虫がカラー(天然色)写真で掲載され、その図版は104点を数える。まだカラー写真が一般的なものではなく、撮影後のデジタル処理などありようもなかった時代において、図版の美しさはすなわち標本の完成度に他ならなかった。先端まで欠けることなく伸びた触覚、左右対称に配置された六本の脚、そして分類毎に均等に配置された昆虫達。気の遠くなるような緻密かつ膨大な作業こそが、この美麗を極めた昆虫図譜を遥かな高みにまで押し上げたのだ。図版一枚一枚に子供達を魅惑の世界に誘う魔法をかけて。

 

“原色千種昆蟲図譜”
著者:平山修次郎
校閲:松村松年
初版刊行年:1933年(昭和八年)
定価:六圓五拾銭
出版・印刷:三省堂
判型:四六判、363ページ