2015.03.27

「セブン・イヤーズ・イン・チベット」と手帳の中の人生

手帳[第4回]

 

「手帳というものは、人々の持つ小さな宇宙を内包しているように思える」と前回書いたけれど、それでふっと思い出した。1997年の映画でブラッド・ピットが主演の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」だ。

 

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これは、オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーの実話を基にしたもので、1939年、登山家ハラーは、世界最高峰の制覇を目指し、ヒマラヤ山脈へと向かうが、第二次世界大戦の勃発により、イギリス軍の捕虜となってしまう。ハラーは、登山仲間とともに、ヒマララで生活を始めたハラーは、当時14歳で好奇心旺盛なダライラマ14世と出会い、親しく交流する。そしてラサでの日々がハラーの荒んだ心に変化をもたらしたのだが、その生活も中国人民解放軍によるチベット国への軍事侵略によって終わりを告げることとなる。といったストーリーだ。

 

この映画の中では手帳がとても効果的に使われている。ハラーがその時々の想いを葛藤やなどが詰め込まれているのだ。それは例えば、オリンピックで金メダルを取った時の新聞の切り抜き、オーストリアに残してきた妻の写真、故郷を離れている間に生まれた長男の名前、山頂を目前にして登頂できない苛立ちや綺麗に描かれた山岳ルートだ。

 

こうなるとハラーの人生が全部入っていると言ってもいいぐらいだ。当然手帳も過酷な旅を経ているので、使い込まれたというレベルではなく、もうボロボロなのだが、それがハラーの人生とオーバーラップしてくる。

 

手帳の中の人生。それはとても詩的だ。テクノロジー(スマホ)から最も遠いところにあるものだ。どちらが良いという話ではもちろんないが、筆者は、文筆業を生業としていることもあってやはり「詩的」である手帳を選ぶ。

 

手帳が五感に訴えてくるものは、スマホなどのデジタルデバイスとは比べものにならない。
だからこそ、ほとんどの機能においてデジタルデバイスより劣る手帳が今の時代にも愛されているのだろう。

 

(文・久保田雄城/写真・塩見徹)