2014.12.26

ニューヨークのためのセレナーデ あるいは ラプソディ・イン・ブルーの後日談

ステープラー[第4回]

 

「私は関係者じゃないから」と式への出席を遠慮するという宏子に、音楽家が「何言ってるの、グラスを一緒に吸った仲でしょ、もうあなたは大きな家族の一員よ」と笑った。
授賞式は滞りなく終わり、マンハッタンの街は、紅葉が日ごとに鮮やかさを増していた。

 

音楽家夫妻が、「さあ、私たちハネムーンに出かけるわね」と言い、夫が「ハネムーンというか、パトロールだな」とおどけると、音楽家が夫の脇腹をつねった。僕と宏子と、朋子カップルが見送る中、イーストビレッジの朋子たちのアパートメントからロングアイランドへ向けて、レンタカーのポルシェ911が強く美しい音を奏でて出ていった。

 

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翌朝の午後、朋子がウディのアウディで、僕らをJFKまで送ってくれた。別れ際に、朋子とそれぞれ強いハグをした。宏子が朋子を抱きしめながら、声を出さずに激しく泣いていた。僕はその時、はじめて、宏子の涙を見た。

 

高度1万メートルで、宏子が独り言のように、囁くように暗くなった機内で話し出す。

 

博多で生まれたの。父親は結構名の知れた作家で、いつも家で小説を書いてた。彼の仕事場には、文房具が溢れていたわ。 私が中学2年のある夜、両親の寝室から出火したの。私の部屋は一階だった。

 

煙に気づいて起きて、二階に両親を助けに行こうとしたら、大きながたいの男に抱き上げられて気を失った。起きると病院にいた。男は消防士だったのよ、その時は意識が混濁していたのね、すごく怖かったことしか覚えていない。看護師さんが、このステープラーを私に渡してくれた。

 

火傷の手術の時、これを絶対離さなかったんだって。おかしいよね、麻酔されているのにさ。あなた、私を初めて抱いた時びっくりしたでしょ、お尻の火傷の跡。この火事の時のものなの。でも、あなたは優しい。他の男は誰もが、この火傷のことを聞くか、さもなければ、もう二度と会わなくなったわ。私はあなたが好きよ。

 

そう、ステープラーはお父さんのもの。たまたまその夜、私は宿題のレポートがあって、自分のステープラーが壊れていたら、借りたの。形見ってわけね。お父さん、ライカのコレクターだったのよ、それだったらよかったのにね。このステープラーは、ロザリオみたいなものなの。ちょっと大きいよね。でもちゃんと祝福して頂いたのよ。うん、祈り。暗闇の中で話の続きを待っていると、彼女の寝息が聞こえてきた。

 

その頃、頭上の荷物入れの中で、ステープラーが静かに蒼く発光していた。

 

(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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