2014.12.19

ニューヨークのためのセレナーデ あるいは ラプソディ・イン・ブルーの後日談

ステープラー[第3回]

 

夏の終わりに、ニューヨークの音楽祭で、音楽家がわりと大きい賞を受けることになった。音楽家夫妻は、新婚旅行を兼ねて出席することにして、もちろん僕も同行することになった。ある夜、音楽家と仕事の帰り道、僕のプジョーの中で「ねえ、あの彼女も連れてきなさいよ。そして恋人にしてしまいなさい」と薦められた。恋人か、と思う。「だって、二十も年が違うんだよ」と答えると「何言ってるのよ、私と夫もそうよ。年の差なんて気にする理由は何ひとつないわよ、少なくとも私たちにとって」と僕を睨んだ。

 

JFK空港に着いたのは午後4時。僕の古い友人でもあるニューヨークのコーディネーター、朋子がレクサスのSUVで迎えに来てくれていた。夕暮れがマンハッタンを包む頃、僕らはブルックリン橋から、マンハッタンに入った。一旦、チェルシーにあるエイト・エレファンツ・ホテルにチェックインした後、僕らは、朋子が住むイーストビレッジのマンションへ。

 

朋子とフィアンセのウディが用意してくれた食材をみんなで料理しながら、シャンパーニュを開ける。窓からはイーストリバーの向こうに、ブルックリンの夜景が漁り火のように広がる。シャンパーニュのボトルが数本空いた頃、ウディが「マリファナがあるんだけど、よかったら吸いませんか」と言う。

 

心地の良い微笑みの沈黙はみんなのイエスだ。キッチンからステンレスケースを持ってきたウディは、中からアルミホイルに黒い葉を出して、巻き髪に几帳面に包み、慎重にライターで火をつけて、気持ち良さそうに大きく吸い込んだ。

 

それを順番にみんなが一口ずつ吸って、回していった。音楽が、いつのまにか、ジョージ・ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」から、トマス・タリスの「40声のモテット『我、汝の他に望みなし』」に変わっていた。すると突然、目の前が天上の蒼で覆われて、僕の何かが、窓を突き破り、イーストリバーを北上していった。

 

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眠くなったと宏子が言うので、僕ら二人は音楽家夫妻を残し、先にイエローキャブでエイト・エレファンツ・ホテルに戻った。シャワーを浴びたら、彼女は元気を取り戻し、結局、シャンパーニュをまた開けた。翌朝、腕の中に宏子がいた。朝陽の中で初めて見る彼女の微笑みは、僕をまた天上の蒼に引き込もうとした。カチャンと金属音がした。ベッドの下に僕がワインオープナーだと思いこんでいたものが落ちていた。でもそれは、ステープラーだった。

 

(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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