- 2014.06.18
植物と人々の暮らしを、もう一度結び直したい[前編]
塚田有一さん/フラワーアーティスト、ガーデンデザイナー
庭造りをはじめ、花や緑を活用した空間デザインやインスタレーション、IID世田谷ものづくり学校で定期的に開催している、庭を巡るワークショップ「学校園」の主宰――塚田有一さんの仕事について、ひと言で表現するのは難しい。
共通しているのは、日本ならではの風土に重きが置かれていることと、植物と人とを繋ぐ目的で企画されている点だ。
ちょっと意外だが、もともと目指していたのは、リゾート開発の業界だったという。
塚田さんの故郷は、長野県。バブルだった大学生の頃、都市開発によって山や森が切り拓かれ、変貌する様子を目の当たりにしたことがきっかけだった。
「子どもの頃に遊んでいた場所がどんどんなくなって、代わりにゴルフ場や高速道路が作られていく……。しかも、どこへ行っても同じような景色になってしまった。それを見ながら、日本の美意識はどこに行ってしまったんだろう、こんな風に利権まみれで短絡的な開発ではなく、もっと風土に合った日本人ならではの感性を活かした土地開発の仕方があるんじゃないかと思ったんです。
自分にとって居心地が良くて、そこへ行けば何か想起できる大切な場所が“リゾート”だとすると、それはどこなんだろう?と。今の在り方ではない提案がしたいな…と考えていたら、辿り着いたものが僕にとっては“花”と“庭”だったんですね。今もずっと、最初の気持ちは変わっていません」
茶道や華道を学び、日本に古来より伝わる美意識や、禅の教えにふれる中で導き出した答えが、現在の活動の原点になった。
なるほど“庭”は、我々にとって最も身近なリゾートといえるかもしれない。
大学を卒業後、草月流家元アトリエ、株式会社IDEE を経て独立。それと同時にIID世田谷ものづくり学校でのプロジェクトもスタートした。
IID世田谷ものづくり学校は、廃校になった校舎をさまざまなジャンルのクリエイター達の活動の拠点として解放するほか、人と繋がるためのプログラムを提案する“次世代の学び舎”。
「IDEEにいた頃、日本人の若手のデザイナーが作るものに全然欲しいと思うものがなくて、これはなんでだろう…と感じることがすごく多かったんですよね。もしかしたらこれは、彼らが、ものがどこから生まれてどこへいくのかをわからないまま、あるいは、それぞれが生きてきた風土が根づいていない状態で、ものづくりをしているからなんじゃないかと思ったんです。それはもちろん、自分も含めてのことです。だから僕自身も、ものがどこから生まれてどこへいくのかを、自分の体を使って感じてみたいなと思ってはじめたのが「学校園」です。青が好きだからということと、育てやすいということもあって、藍を植えました。荒れた土地の開墾からはじめて、もう8年目になります。藍染めのワークショップは夏の恒例イベントです」
塚田さんがこれから広めていきたい活動のひとつに“グリーンディレクター”がある。
「基本的には、楽しく緑に触れる機会を増やすことが最大の目的なんです。大切なのは、ただ見るだけではなくて、実際に手に触れること。
“今、この瞬間のリッチさ”を感じさせてくれる植物や、それを取り巻く生き物という身近な存在に、自らが気がついていく。そんな機会や場を作る活動が、人と人とを結んでいくと思っています。
例えば端午の節供や、七夕の節供を祝うことは、五感すべてを使って旬のエネルギーを身体に取り込む知恵であり、リセットする術でもありました。花を摘む、活ける、身を浄める、料理する…植物に向かう行為そのものが、心身を新しくしてくれると思います。
“植物は、大地が語る言葉”です。季節が訪れれば咲く花は、彼らの歌みたいなもの。“花”と“話す”の語源は一緒なんですよ。人は、花を咲かせることができない代わりに、言葉を話すのかもしれませんね。棺を花で埋め尽くしたり、お墓に花を供える習慣があるけれど、古くから人は花に自分の心を託してきたとも考えられますよね」
例えば西洋を起源とする花言葉も、人が花に心を託して生まれたもの。ほんの少し前まで、植物や自然と人間とは、もっと密接な関係だったのだなと気づかされる。
プロフィール
塚田有一(つかだゆういち)
(有)温室代表
立教大学卒業後、草月流家元アトリエ、株式会社IDEEを経て独立。
茶花からランドスケープデザイン、2011年に立ち上げた「花綵(はなづな)列島」プロジェクトなど、
花や緑にまつわるさまざまな活動を行う
(文・河西みのり 写真・西原樹里)
[後編](6月25日配信予定)へ続く
関連記事
-
- 想いをのせた花が、人と人の心を繋いでいく[後編] 2014.07.02