2014.08.22

なんて気の毒な定規、シャネルのノベルティ、野趣あふれた鍋島松濤公園

定規[第2回]

 

家には、3つも定規がある。30センチ、50センチ、100センチ。僕の仕事は文筆業なので基本的に定規なんて使わない。謎である。そしてもっと謎なのは、彼らがいつから、どうして僕の家にいるのか全く思い出せないということである。

 

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日常生活のシーンで定規を利用する機会というのは、とても限定されているように思える。
前回、定規を使ったのがいつだったのだろう。うむ、そうだ。それは会いたくもない相手から読みたくもない手紙が届いた時だった。でも、それはちょっとした事情があって丁重に開封する必要があったのだ。けれどレターオープナーが見つからなかったので、定規で代用したのだ。それが定規を使った最後だ。なんて気の毒な定規。

 

以前インタビューの取材で松濤のある家にお邪魔したことがあった。その時、そこのマダム(まさにマダムという風情の人だった)が、僕の質問をマホガニーのゴージャスなデスクで丁寧にメモしていたのだが、その鉛筆にはCHANELと刻印されていた。

 

何だか悪い冗談みたいだと思ったけれど、もちろんそんな事はマダムには言わなかった。その代わりに「珍しい鉛筆をお持ちですね」と言ってみた。すると彼女はデスクの引き出しから、CHANELのロゴの入った定規を僕に、いくぶん誇らしげに見せてくれた。僕は咄嗟にちょっと怪訝な顔をしたかもしれない。ひょっとすると、僕の困惑した表情を彼女に見られたかと思ったけれど、そんなことはなかったようだ。

 

インタビューは無事に終了。僕は松濤の住宅地を抜けて、都会のただ中とは思えない野趣あふれた鍋島松濤公園を抜けて東急百貨店までの道を歩きながら、どうしてCHANELは顧客(彼女はスーツから靴までCHANELだった)に鉛筆と定規を配ったのだろうか。どういったコンセプトで配ったのだろう。ブランド価値の向上に鉛筆と定規が貢献すると考えたのだろうか。といったことばかり考えていた。もちろんブランド価値を下げる為にノベルティを作る企業なんてどこにもない。

 

僕はその足で、有楽町で女友だちと待ち合わせて、銀座のメゾン・エルメスに映画を見に行った。作品はベルリンの壁崩壊直前の東ドイツを舞台にしたものだった。

 

帰りに僕らは、プランタン銀座の裏のバールでワインを飲んだ。彼女は一生懸命、新しいボーイフレンドについて話していたけれど、そのディテールは僕の心に届かず、僕はずっとシャネルの定規が気になっていた。そして、エルメスは決して定規を作りはしないだろうと考えた。

 

(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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