- 2014.06.27
志のないお洒落な若い小動物たち、バックヤードで燃えさかる9つのペンケース、チェロで奏でられる「亡き王女のためのパヴァーヌ」
ペンケース[第4回]
私は台湾の一番大きい都市、台北で生まれた。家は裕福だったので何不自由なく育った。幼い頃からチェロを習い、高校の頃には台湾のクラシック界ではちょっとした有名人になっていた。卒業したらアメリカのジュリアード音楽院に行きたかった。でも親が「太平洋の向こう側だぞ」と猛烈に反対した。
日本統治の時代を過ごした両親は、東京の芸術大学を強く薦めた。「勉強熱心で勤勉な日本人は素晴らしい」が彼らの口癖だった。だからその通りにしてみた。上野にある大学に入り大学院は北関東にあった。何人か恋人を作ってみたけれど同級生の日本の男たちは志のない小動物のように静かで、ただ優しいだけで物足りなかった。
そんな時、夏休みで帰省した台北で中年の日本人の男と偶然知り合った。男はカフェのカウンターで漫画のような下手くそなイラストを書いていたのだけれど、なんとなくチャーミングだった。
東京に戻ってすぐ彼に連絡し、デートしてその数時間後にはベッドを共にした。
その秋の終わりには私はその男と、そして彼の連れ子と暮らし始めた。
連れ子は静かだけれど強い瞳を持った娘だった。でも私と7歳しか違わないから接し方にはとても気を使った。布製の色違いのペンケースをたくさん大事そうに持っていた。それはすべて同じ形をしていたから同じブランドのものだろう。娘は一度、それらを全部キッチンのテーブルに載せて私に見せてくれた。
「どうしてこんなに持っているの?」と聞いてみたけれど、彼女は返事の代わりに微笑むだけだった。質問を無視されたことで私は非常に不愉快になった。
それから、私は連れ子に悪意を持つようになった。数日後、彼女が中学校に出かけている間にバックヤードで焚き火をして燃えさかる炎の中に、数えたら9つあったペンケースすべてを放り込む夢を見た。ものすごく興奮して目が覚めた。それを鎮めるためにリビングに行き、ラベルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」をチェロで弾いた。
連れ子が最後に私にくれた置き手紙は今でも忘れない。
それにはこう書かれていた。
その時々で辛いことがたくさんあった
涙で眠れない夜もあったし、
悔しくて頭を壁にぶつけたこともあった
怖くて渡れない河もあった
でも、悪い思い出は何ひとつ何ひとつありませんでした
(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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