- 2014.06.13
クリエィティブ・ディレクターの離婚、彼女の7歳上の父親のガールフレンド、行ったことのない異国の女の聞いたことのない言葉、空想の中の記憶の家(後編)
ペンケース[第2回]
最初にペンケースを選んだのは父親だった。藍色のとてもシックなもので、正直小学1年生の彼女には不釣り合いだったが、彼は「おまえは顔立ちも華やかで、背も高くスタイルもいい。だから身につけるものは、上品でスタイリッシュなものがいいんだ」と赤を選んだ彼女に言い、それを棚に戻させた。
思えば、彼女の人生は、いつも父親と共にあった。自動車に興味を持ったのも、ハイファッションが好きになったのも、ジャズばかり聞くようになったのも、すべて父親の影響だった。もちろん父親は根っからの仕事人間だったから、過ごした時間は母親の半分いや、三分の一以下だろう。
でもその分、密度は濃く思春期を迎えても、クラスメートがテレビの向こう側のタレントやらなんやらに憧れる中、彼女のアイドルは父だった。ディーゼルのデニムを穿いたり、ラルフローレンのワンピースを着たりと変化自在のファッションセンスも父親譲りだった。そして彼女はとてもエル・ファニングに似ていた。
ペンケースの色が増えていく度に、彼女は友だちが増えていくようで嬉しかった。藍色から始まり、白、赤と続き、緑や青や黄色、橙色。でもなぜか中学3年生の時には、売れ残りなのか、バーゲンプライスが付けられた黒を買った。自分でもどうしてその色を選んだのかはわからない。黒。この世を去った人の写真の枠を彩る色だ。でも今にして思うと、それはゆるやかで真綿で首を絞められるような悪夢への入り口だったのかもしれない。
多くの娘と継母(ガールフレンドはまだ籍は入れていなかった)が、そうであるように、彼女たちも最初の頃こそ予定調和的に友好な間柄だったが、2カ月を過ぎたあたりから関係がギクシャクし出した。ガールフレンドはおっとりとした見かけからは想像できないほどに病的に気が短かったのだ。
ガールフレンドは彼女に慣れるにつれて、ささいな事ですぐ怒るようになった。さらに悪いことに激高すると中国語で彼女を罵倒した。彼女は英語なら日常会話ぐらいこなすが、中国語は全くわからなかった。だから余計に恐怖に戦いた。
行ったことのない異国の女の聞いたことなのない言葉が彼女を追いつめた。
珍しく父親が早く帰って来た5月の夜。
ガールフレンドは「家族の基本は夫婦だ」と言い出して、これからは二人でお風呂に入ると宣言した。家族の基本が夫婦であることの証が二人でお風呂に入ることなのかという疑問も父は特に持つことなく、ガールフレンドに従って風呂に入った。風呂から出た時には彼女の姿は家から消えていた。
その夜から、彼女の家は横浜でも、父とガールフレンドの家でもなくなった。
彼女の家はただ空想の中の記憶に留まる家となった。
(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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