- 2014.06.06
クリエィティブ・ディレクターの離婚、彼女の7歳上の父親のガールフレンド、行ったことのない異国の女の聞いたことのない言葉、空想の中の記憶の家(前編)
ペンケース[第1回]
彼女の両親が離婚したのは、彼女が中学3年の秋の終わりのことだった。
彼女はただ「お父さんについていった方が楽しいだろうから」という理由だけで、親権を彼に委ねた。
父親は大手広告代理店のクリエィティブ・ディレクターで、離婚の原因はこれもまた大手広告代理店のクリエィティブ・ディレクターによくある浮気だった。彼はかなりの年収を得ていたので、それに比例して(しかも結婚生活は20年を越えていた)、慰謝料も莫大な額だった。
横浜の瀟洒なメゾネット・マンションに住み、地下のガレージにはポルシェ911とメルセデスのSクラスが並んで置かれていた。絵に書いたような中産階級の家庭だった。離婚後すぐに父親は北関東の地方都市にアパートメントを借り、彼女も追うようにそこに移った。何日かすると父親は彼女に、新しいガールフレンドを紹介した。そして、そのまま彼女はそのアパートメントの3人目の住人となった。
真偽のほどは定かではないが、父親は彼女が離婚の原因ではないと付け加えることも忘れなかった。ガールフレンドは彼女の7歳上だった。ちょっと年の離れた姉妹のようだ。実際、彼女とガールフレンドは、見た目も体型も話し方も似ていた。台北で生まれたガールフレンドは芸術大学院生であり同時にプロのチェリストだった。
最初の数週間こそ、父親は毎日満員電車に揺られながら2時間半をかけて、汐留の会社まで通っていたが、そんな長距離通勤は気まぐれで奔放な彼には続くわけがなかった。そのうち週に3、4日は会社の隣のホテルに泊まるようになっていた。仕事も忙しかったが、彼にとっては北関東のいつもあくびをして眠たげな町は退屈だったのだ。
だから、ほとんど彼女はガールフレンドとの二人暮らしのようになった。不思議なものだ。慣れ親しんだ横浜の街と、そしてもちろん生まれ落ちてから共に暮らした母を置いて、父親を追ってきたというのに、見知らぬ(と言っていいだろう)外国人の女と聞いたこともない名前の町に住むとは、夢にも思わなかったはずだ。もちろん人生は一瞬にして変わるのが常ではあるけれど。
彼女はひとりっ子だった。両親は、彼女が物心つくころから別の部屋で暮らしていたけれど、彼女の前では仲睦まじい夫婦を演じていた。そう、離婚の日まで。だから、彼らの別れは彼女にとっては、青天の霹靂だった。毎年親子三人でヨーロッパに出かけ、そして京都にも小旅行をした。
京都には彼女のお気に入りの、というかもちろん初めは親に連れて行かれたのだが、帆布の鞄屋があった。その店は通販もやっておらず横浜や東京にも店舗がなかったので、そこでしか商品を買うことができなかった。
でも彼女を捕らえたのは、その店の看板商品ではなくペンケースだった。京都に行くと必ず立寄り、彼女は毎年色違いのものを買い集めた。ペンケースが9色目を数えた秋。彼女は横浜を離れた。それは同時に毎年恒例だった家族旅行の終焉も意味していた。(後編へ続く)
(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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