2014.05.30

甘ったるいレターメンの「ラヴ」、NISSANの小型セダン、ポール・スミスのロディア的夕暮れが呼ぶ邂逅、誰もいない部屋で声を出さずに泣く

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ノート[第4回]

 

 ジョン・レノンが好きだ。彼の最初のソロアルバムに「ラヴ」という曲がある。詩は松尾芭蕉にインスパイアされたといわれるだけあって、それは極限まで装飾が取り払われている。サウンドもピアノとアコースティックギターだけのシンプルなものだ。ハイエンドのスピーカーの前にすわって目を閉じて、聞いているとまるで目の前で彼が僕の為に歌ってくれているようなミックスダウン*も素晴らしい。

 

 この歌はアメリカのコーラス・グループ、レターメンがシングル盤でカバーを出して、日本でもかなりヒットしたはずだ。よくラジオで流れてきたことを覚えている。ジョンのオリジナルのシングル盤は彼の死後までリリースされていないので、多くの人はこのカバーで「ラヴ」を知ったのだと思う。原曲の素晴らしさを汚すような不自然に甘ったるい合成甘味料のようなコーラス、それに薄っぺらなアレンジが酷かった。だから僕はこのカバーが嫌いだった。

 

 それから20年近く後に、僕は偶然テレビコマーシャルでこのレターメンの胃が痛むようなカバーを再び聞いた。それはNISSANの有名な小型車のもので、朝霧に包まれた湖畔に、その白いセダンは停まっていた。前半の映像の彩りは抑えられ、モノクロームフィルムのようで、最後にはやはり抑えた色調の朝焼けに包まれるというものだった。

 

 そのコマーシャルが、僕の中の何かをとても強くヒットした。それは小型セダンのデザインでもないし、その映像でもない。ましてや、もちろんレターメンの歌でもない。女性の声で、多分わずか15 秒ぐらいのナレーションにだ。注意など払っていなかったので、届いた言葉は断片的だった。「以前のように」、「ということです」「わかっているのは」、といったピースだ。それから僕はNISSANがスポンサーになっている番組を、NISSANの広報に直接電話して聞いてみた(もちろん当時はインターネットなんてなかったのだ)。そして、このコマーシャルを再び見て、僕はそのコピーを急いでメモ帳に記録した。

 

 時は矢の如く過ぎ去り、もう一度20年が過ぎた。僕はある夕暮れ、You Tubeでなかば偶然にそのコマーシャルを見た。完全に記憶から抜け落ちていたのだが、そのナレーションは20年という時を経て、まるで薄靄のヴェールのように僕を包んだ。

 

 僕は、その日買ってきたばかりのポール・スミスのロディアの方眼のメモパッドに、そのナレーションを書き留めた。方眼紙の上のそれらの言葉は、僕にある種の夢の果てを連想させた。そんなことは初めてだった。そして、翳りゆく誰もいない部屋で、僕は声を出さずに泣いた。いつまでも。

 

 以前のように、ふたりでいて、
ずっと話し続けることはなくなったけれど。

 

 それは話すことがなくなったわけではなく、
言葉がいらなくなったから。

 

 でも、わかっているのはあなたがとても大切だ、
ということです。

 

(文・久保田雄城/写真・塩見徹)

 

*複数のトラックに録音された信号をオーディオ処理し、ステレオ信号としてミックスする作業。
 マルチトラック録音の最終作業。

 
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シリーズ「ノート」了。次回のテーマは「ペンケース」です。