2014.05.16

東アジアの果ての避暑地でモレスキンのトラベラーズ・ジャーナルに書き込むフランス人女性、東京への週末旅行のキャンセル(後編)

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ノート[第2回]

 取材の二日目、僕は、ホテルの中を散歩した。もちろん、さりげなくあのフランス人女性を探しながら。けれど、彼女を見つけることはできなかった。そろそろ仕事に飽きてきた三日目のホテルの朝食の食堂で、思いがけず彼女に出会った。よく見ると年齢は三十代後半といったところだろう。ダーティブロンドの髪と、ヘイゼルの瞳を持っている。知的だけどちょっと神経質そうな表情が、BBC だかFEN だかの東京特派員といった風情だ。

 彼女は乱暴に丸めたペーパーナプキンをテーブルの横に置いたまま、またモレスキンを開いて、隣にあるあずき色のパスポートを置いて何かを書き写しているようだった。パスポートは「Le silence dans le cinéma d’Ozu」と書いてある薄汚れたペーパーバックの上に載っていた。彼女の中にある何かが僕を突き動かしたけれど、彼女のナイフのエッジのような佇まいが僕に声をかけることを拒絶しているようだった。彼女はウェイターを呼びつけ、はじめ英語で何か話していたが、不意に大きな声でフランス語で怒りはじめた。

 無口だったクライアントの娘が僕をホテルに送り帰してくれるシュペール・サンクの中で「週末の東京への小旅行がキャンセルになったの」と言ったのは四日目だった。僕は右手でサイドウィンドゥに頬杖をつきながら浅間山を眺めながら黙って聞いていた。「東京は好き?」と尋ねると、娘は、「ううん、別に」と答えた。

 五日目。昼下がりを持て余してしまった僕は、東京から持ってきていたボルドーレッドのリモアのスーツケースの内ポケットに未使用の古い鳩居堂の和紙の便箋と封筒を見つけた。それを持って、半分、あのフランス人女性がいないかと期待しながら、テラスのカフェに出かけたが、彼女はいなかった。もうチェックアウトしてしまったのだろう。

 そこで僕は、喧嘩別れしたまま、一カ月連絡をとっていないガールフレンドに、絵はがきみたいな文面の手紙を書いた。気がつくと夕暮れ、うるさいくらいホテルには蜩の声が響いていた。

 翌日、僕は予定を一日早めてそのホテルをチェックアウトした。

 1986 年の夏はこうして消失していった。ホテルはその後やってくるバブルに浮かれ、分不相応の事業拡大をし、1992 年に閉鎖された。クライアントの娘は、神戸でデザイナー職を見つけた矢先の1995 年、震災で家屋の下敷きになり命を落とした。

 僕は1997 年にホテルから書いた手紙の相手と結婚し、2001 年に離婚した。今でも、時々あの夏を思い出す。緑の風の匂いや、蜩の鳴き声、突き抜ける空の青さ、そして不意に大声で怒りだしたあのミステリアスな美しい女性を。

(文・久保田雄城/写真・塩見徹)