2016.07.19

花巻×賢治 ①宮沢賢治の心象風景をめぐる

宮沢賢治の心象風景をめぐる

 

 

私の中の宮沢賢治のイメージを色で例えるならば“茶色”である。
小学生の時、図書室の壁に貼られていた彼の肖像画がセピア色だったということもあるが、彼の詩歌や童話から匂い立つ農場や森の香り、そしてどこか禁欲的で仄暗い作風は、土の色を連想させるのだ。

 

どっどどどどうど どどうど どどう
青いくるみも 吹きとばせ
すっぱいかりんも 吹きとばせ
どっどどどどうど どどうど どどう
(宮沢賢治「風の又三郎」より)

 

彼の作品中に数多く登場するオノマトペは独特だ。
風の音も鳥の声も夏の日差しも、すべて“賢治語”で語られるのだ。小学校の教科書に載っていた「やまなし」を読んだ時、ちょっと怖いと感じたものだ。しかし、意味は分からずとも一度聞いたら二度と忘れない言葉の力がある。
「くらむぼんは、かぷかぷわらったよ。」
くらむぼんの正体はよく分からないけれど、その一節を大人になってからもずっと覚えている人はきっと多いはずだ。

 

カニの子ども達が水面に浮かぶやまなしを追いかけて行ったのと同じように、私もまた、心の中にずっと残っている宮沢賢治の言葉たちを追って花巻に向かった。東京から新幹線で3時間ほど。車窓の風景は次第にビルから田園へと変化していき、降り立った新花巻駅では、背の高いビルの代わりに山々を見渡すことになった。

 
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地元の人々に愛され続ける“賢治先生”

 

岩手県花巻市は宮沢賢治の出身地である。花巻の地で生まれ育ち、花巻農学校(現在の花巻農業高等学校)の教師となり、多くの人々に慕われた。
今年は彼の生誕120周年ということもあってか、市内の至るところに銀河鉄道のモチーフが使用されていたり、お土産も賢治にまつわるものがたくさん並んでいる。そして何より、地域の人々が宮沢賢治を心から敬愛していることが、ひしひしと伝わってきた。これは余談だが、取材をお願いした時に担当者の方が彼を「賢治先生」と呼んでいたのが印象的だった。私も咄嵯に呼び捨てから「賢治さん」と言い換えてしまったほどだ。彼はずっと昔に亡くなっているが、花巻の人々にとっては国民的作家である前に、地域の身近な「先生」として未だに親しまれているのだろう。

 

彼の作品を残すため、そして彼の生き方を広く知ってもらうために、花巻市には宮沢賢治に関連する施設が数多く存在する。宮沢賢治記念館は、その代表的な施設のひとつである。宮沢賢治に関する様々な関連資料や研究成果が展示されている。平成27年の春にリニューアルオープンし、古めかしい印象はない。スクリーン映像やパネルを使い、宮沢賢治の人生、そして彼の“心象世界”が「科学」「芸術」「宇宙」「宗教」「農」の5分野で紹介されている。

 
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展示室では彼の自筆の原稿を目にすることができる。
頭に浮かんだことをすぐに書き留めようとしたのだろうか。彼の筆跡からは、執筆当時の臨場感が感じられた。文字が“生きている”ような気がしたのだ。何度も赤入れをした跡も生々しい。
現在、ライターの仕事に限らず文章を書く時はほとんどパソコンで文字を打つ。誰もが読みやすく、正確な文を作成することができる反面、賢治の書く文字のように「勢い」や「迷い」をそこに見出すことはできない。作者がこの世を去ってしまった後も、彼の原稿は確かに息をし続けていた。

 
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記念館から歩くこと10分ほど。賢治が設計した花壇を目にしながら森の小径を下っていくとイーハトーブ館が現れる。賢治にまつわる研究論文や作品を所蔵する文学館である。1階部分には天井が高く明るい展示室、2階には図書室があり、宮沢賢治のことをより深く知りたい人のための施設である。ちなみに「イーハトーブ」とは、「ドリームランドとしての日本岩手県である。」と、「『注文の多い料理店』広告文」の中で賢治が説明している。

 
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さらに道を下った場所には、宮沢賢治童話村がある。敷地の中いっぱいに賢治の童話の世界が広がっていて、賢治の心象世界をリアルに体験できるのだ。決まったスケジュールで夜間のライトアップを行っていて、あいにく滞在中に見ることは叶わなかったが、さぞ幻想的だろう。

 
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「賢治の部屋」と名付けられた屋内展示では、銀河に放り出されたような「宇宙の部屋」や、イーハトーブの生き物たちと同じ目線を体験できる「大地の部屋」など、不思議な世界を探検することができる。また、「賢治の教室」と呼ばれる7つのログハウスでは彼の童話にもよく登場する動物や石、鳥、星などを楽しく学ぶことができる。身の回りにある自然を心から愛し、それらを作品の中に散りばめた賢治の思いの深さを実感した。

 

 

イーハトーブを歩く

 

花巻市内をしばらく散策して分かったことは、どこにいても風の音と鳥の声が聞こえるということだ。そして、遠くにそびえる早池峰山や眼前に広がる真っ青な田園風景。彼が「イギリス海岸」と呼んで親しんだ北上川の河岸。これらは全て、宮沢賢治の詩集や童話のどこかで出会ったことがある風景のような気がした。彼は病床に伏しして亡くなる37歳の時まで、風の音と土の香りがする“心象風景”を心の中に大切にしまっていたに違いない。

 
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そして、彼の心象風景は花巻市内だけではない。花巻市からさらに北上すると、山林と耕作地から成る小岩井農場がある。なんと東京ドームが640個入り、羽田空港ならほぼ2個分の広さだという。

 

詩集「春と修羅」の中には、この地を題材にした詩「小岩井農場」が収められている。修学旅行で農場を訪れた賢治は、小岩井農場に魅了され、その後何度も何度も足を運んだのだとか。現在は農場の中央部に観光客向けの「まきば園」と呼ばれるエリアが設けられており、牧場の雰囲気を気軽に楽しむことができる。賢治が最も愛したのは、県道沿いの広大な耕作地やレンガ造りのサイロ、牛の放牧地帯など、どこか西洋を感じさせる風景だったようだ。

 
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取材で訪れた時は朝から強い雨に降られ、ずぶ濡れになりながらサイロを見学した。ガイドブックに載っている写真は決まって、青空と岩手山と広い牧場の風景だが、実は「小岩井農場」の中では雨の景色が描かれている。

 

ひばりが居るやうな居ないやうな
腐植質から麦が生え
雨はしきりに降つてゐる)
さうです、農場のこのへんは
まつたく不思議に思はれます
どうしてかわたくしはここらを
der heilige Punktと
呼びたいやうな気がします

 

(宮沢賢治「小岩井農場」より)

 
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春の穏やかな景色が一転して雨に変わる。事象は一定ではない。彼は天候も含めて、農場のすべての変化をありのままに描写している。“der heilige Punkt”とは、ドイツ語で「聖なる地」を意味する。まさしくここは、宮沢賢治の聖地なのである。
彼もまた、怒号のような雨の音を聞いたのだろうか。雨脚が弱まってきた時に、たくさんの小鳥が草地に降りてくる姿を見ただろうか。雨上がりの農場もまた美しいはずだ。今度は別の季節に、できれば雨が降っていない時に再び訪れたいと強く思った。

 

花巻と盛岡の小岩井農場。彼の心象風景の端っこに立ち、イーハトーブの正体をほんの少し覗き見ることができたような気がする。

 
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今回伝えきれなかった内容をご紹介する「地域の魅力を探る」編は、明日配信予定です。
 

宮沢賢治記念館
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/501/miyazawakenji/p004116.html

 

宮沢賢治イーハトーブ館
http://www.kenji.gr.jp/index.html

 

宮沢賢治童話村
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/shimin/176/181/p004861.html

 

小岩井農場
http://www.koiwai.co.jp