2014.11.07

老いと鶴 あるいは悲しみのジョディ (前編)

レター[第1回]

 

老いについて考える機会を、その友人が僕に与えてくれた。彼女は、僕と同世代。つまり50代も半ばだ。カリフォルニア州のサクラメントに住んでいるので、日常的に会えるという訳ではない。そんな彼女が数年ぶりに帰国したので、コンラッドのカフェで再会した。といっても、それももう一年前のことだ。

 

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話はこうだ。彼女の義理の母のジョディは、65歳まで教育関係の仕事をしてリタイアした。とても社交的で、朗らかな義母だったそうだ。新しもの好きで、 86歳の今もコンピュータを自由自在に活用しているそうだ。

 

義母は、とても由美子(これが彼女の名前だ)を気に入っていて、二人でよくカフェに出かける。そのカフェでちょっとしたトラブルがあった。カフェにはベーカリーとは別にキャッシャーが併設されていて、そこで購入したベーグルやクロワッサンをカフェで食べることができる。彼女はテラスでカズオイシグロを読んでいて、義母はベーカリーでお気に入りのデザートを買って、カフェで飲み物をオーダーしていたはずなのだが、どうも様子がへんだ。キャッシャーの黒人の女と押し問答をしている。シンディはイタリア系の白人だ。

 

どうしたものかと、彼女がそこまで行って話を聞いてみると、ジョディは、ベーカリーで支払いをせず、デザートをカフェの会計で支払おうとしていたのだ。会計は別々にと黒人の女が何度も言ったのだが、そのことがいまいち理解できなかったようだ。

 

それで由美子が中に入って解決して、二人でテラスに戻ったのだが、義母は何も無かったように涼しい顔をしていたそうだ。というより、コトの成り行き自体を理解できていなかったのだろう。
義母のそんな姿は、少なからず由美子にショックを与えた。それから彼女は認知症やら、なんやらの本を Kindleで読みまくってみた。でも、なんだか今ひとつ腑に落ちなかった。
サクラメントにも緩やかな冬がもうすぐやって来る。

 

(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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