2017.02.01

刺青

やすこな本棚 第十二回 最終回

 
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 痛みの記憶は根が深い。傷として残るものも、すっかり面影を亡くしたものも、どこか痛みを覚えている気がしてならない。例えばコピー用紙はうっすらと血がにじむような切り傷を思い出させるし、鋭利な刃は記憶にはない恐ろしい傷の痛みを擦り付けてきているようで、一瞬痛みに支配されてしまうことも少なくはない。

 

 我慢できる痛さの程度は人によってもちろん違いはあるだろうが、私は昔から痛みに弱かった。歯医者では泣き叫び、転べばぐずる・・・泣いても痛さは変わらないのに、何故あんなに、まるでこの世のものとは思えない怖いものに遭ったかのように声を上げて泣いてしまったのだろう。今でも感じる痛さの程度は同じはずなのに、あんなに泣くことは今もこれからも無いと思える自分が少し寂しいが。

 

 谷崎潤一郎著「刺青」は、若く腕の良い刺青師・清吉の欲望とフェティズムの物語だ。短い作品ながら、痛みを受ける者の苦悩、痛みを与える者の快楽が艶めかしく描かれており、どこか恥ずかしさとすがすがしさを感じる一冊と言える。

 

 最近はSだMだと自分の性癖を形容する若者も多く見かけるが、ここではそんな1文字では言い表せない美しいフェティズムがある。自らが与える痛みで喚く客には同情の余地もなくさらなる針を、痛みを我慢する客には言葉巧みに痛さの存在を思い知らしめるその清吉の言動は、時代が許した欲望でもあるのだろう。より美しく、より絢爛なものに恋い焦がれるご時世が、浮世絵師としての画力を駆使し針を刺す清吉の欲望を駆り立て、もう戻れないところまで駒を進めてしまったのだ。

 
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 強烈な痛みは恐怖を与え、その人の人生を少し曲げてしまうことも少なくはないように思う。古傷が疼くなんて言葉もよく聞くが、自分でつけた痛みも、他人につけられた痛みも、きっと思いが強ければ強いほど記憶に根を張り居座ってしまうのかもしれない。丁度痛みをもってして刻まれた刺青が、色褪せながらも消えないかのように。

 

 口に入れた瞬間に強烈なにおいが鼻に抜けるような、インパクトある1冊でした。ごちそうさまでした。

 
文・橋詰康子 写真・西東十一
 
 

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参考文献
「刺青・秘密」
谷崎潤一郎 著
新潮文庫
昭和44年8月5日発行

 
 
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全12回をお届けしてきた「やすこな本棚」は、今回で最終回となります。
1年間、みなさまに長くご愛読いただき、厚くお礼申し上げます。
また、橋詰康子の新企画も予定していますので、どうぞご期待ください。

 
 

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