- 2016.09.01
薬指の標本
やすこな本棚 第七回
幼い時からひどく恐ろしい想像をすることがある。例えば刃物を使うとき、間違えて指を切断してしまったら・・・、あるいは剃刀で産毛を剃るとき、手が滑って一生消えない傷が残ってしまったら・・・。想像するだけで全身の毛が逆立つ気分になるのだ。もちろん、そういったことがないように細心の注意は図っているのだが。
実際にもしも何かの拍子に、自分のどこかが欠けたとして、私はその部位をきちんと愛せるだろうか。あれは小学生のころだったか、伸ばしていた髪を切りに行った際、無残に切られて床に散らばった髪の毛を見て号泣したことがある。「私の一部だったもの」がそうではなくなることを、あの時しかと感じて、怖くなったのかもしれない。当時は「切られた髪の毛がかわいそう」だからだと思っていたが、私はその時、確かに恐怖心を抱いていた。
今回紹介する「薬指の標本」は、21歳の「わたし」と標本技術士の弟子丸氏の何とも怪しげな恋愛を描いた物語だ。海に近い田舎の村で、清涼飲料水を製造する工場に勤めていた「わたし」は、ある時ベルトコンベヤーの接続部分に左手の薬指を挟まれてしまう。「わたし」は突然の出来事に驚く暇もなかった。そうして彼女の薬指からは血があふれ、先端にあった肉片は透き通っていたサイダーを桃色に変えていったのだった。
痛覚がある人間ならば、指が少し切れただけでも痛いはずだ。それが紙で切ったようなうっすらとしかついていない傷でも、肉片がもぎ取れるくらい深い傷だとしても、私たちは反射的に痛みを感じる。しかし一方で、特に小さな傷の場合傷がついた瞬間ではなく、傷があると認識した瞬間に初めて痛みを感じるときもあるはずだ。そこから思うに、私たちにとって痛みは、触感と全くイコールでつながっているものではないのかもしれない。
薬指の先端を亡くした「わたし」は、弟子丸氏と出会い、関係性を持ってから、当時の出来事を「痛くて、苦しくて、怖い思い」をしたことだといっている。傷を負ったときは痛みを感じなかった「わたし」は、傷ができたことに痛みを感じているのだ。現に、「わたし」は弟子丸氏に薬指を見られることに抵抗を感じている。ほかでもない弟子丸氏だからこそ、そう思ってしまったのかもしれないし、事故から時間が経つにつれて自分の欠けた薬指を倦厭していたのかもしれない。私はもちろん、前者だと思う。
左手の薬指は、結婚指輪をはめる場所でもある。永遠の愛を誓い、そこに指輪をする。ちなみにこの小説では、指輪ではなく黒い革靴の意味するところが似ているように感じるが、詳しくは口を閉ざしておこう。靴については、ぜひ実際に作品を読んで、確かめてほしい。
爪や髪の毛ならばともかく、体のどこか一部が欠けたなら、それは元には戻らない。新しく生えてくることもなく、大抵そのままだ。それならば消毒液に浸かって、愛しい男の澄んだ瞳で眺められることを選ぶという女性は、実は多いのかもしれない。そしてその消毒液の中が、サイダーのように冷たくはなく、心地よい人肌ならばなおさらだ。寂しい思いをすることもない、痛い思いをすることもないのだ。まるで愛しい人の腕の中で守られているかのように。
痛みはただ痛みとしてだけ脳に残る。しかし、その時感じた感触は、いつまでもその人の中に残り続ける。特に誰かに与えられた感触は、いつまでも印象にこびりつき、ふとした瞬間にその出来事を彷彿とさせるのだ。作中に出てくる人たちが、自分の思い出の品やいわくつきの品を標本にするのは、もう一生その感触に触れたくないからなのだろう。標本にされたものは、一生元の形に戻ることはないのだから。
あの時の私の髪の毛は、当然だがそのまま捨てられてしまっただろう。今ももちろん、美容院に行って切られた髪の毛を標本にしたいとは思わない。しかし私もいつか、ふらりと弟子丸氏の標本室に足を運んでしまうことがあるかもしれない。そしてその時手に持っているのは、髪の毛じゃないとは言い切れない。
アルコール度数が高い甘ったるい洋酒をいただいているような気分になる一冊でした。ごちそうさまでした。
参考文献
「薬指の標本」
小川洋子 著
新潮文庫
平成10年1月1日発行
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