2016.07.01

羊と鋼の森

やすこな本棚 第五回

 
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 小学校5年生までピアノを習っていた。長野県の片田舎である故郷には、数えるほどしかピアノ教室はない。そのひとつに物心つく前から通っていた。

 

 ピアノを習いだした理由はもう覚えていない。ただ姉が先に通っていたからとか、そんなものだったように思う。しかしピアノの神様は私には振り向いてくれなく、なかなか上達しないまま私のピアノ人生は終わりを遂げた。

 

 高校生の外村がピアノの調律師である板鳥に出会ったことで始まる「羊と鋼の森」。ここには、毎日の生活で忘れてしまいがちな新鮮な感動が美しい文体で表現されている。「やすこな本棚」第5回目は、「羊と鋼の森」を聴覚に沿って紹介していこうと思う。

 

“森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。”

 

 冒頭のこの文章にもあるように、本編の中には「森の匂い」という表現が多く出てくる。主人公である外村がよく使う表現なのだが、正確には「森の匂い」がする音のことを指している。対象となるのは常に調律されたピアノの音で、森の近くに住んでいたという外村ならではの、感覚的な表現なのだ。

 

 最初は夜に近い森の匂いに、警戒心を働かせていた外村。この時の外村には、調律そのものが森だったのだ。そして調律のことを当時何も知らなかった外村にとって、それは入ってしまったら恐ろしいもののように聞こえたのかもしれない。

 

 大学に入るまで、私も山に囲まれて生活をしていた。しかし「山で生まれ育った」というのと、「山に囲まれて生活をしていた」というのは必ずしもイコールではない。私には山の匂いはわかっても、森の匂いはわからないのだ。

 

 しかし想像はできる。鬱蒼とした緑の匂いは、どこかこみあげてくるほど濃い。ただただ、そこにある緑とどこかにいるだろう生命の息吹だけを感じることができる、うるさいけれど静かな音だ。都会では、決して感じることができない音。

 

 東京に出てきて、たまにすごくこの匂いが恋しくなるときがある。田舎にいる時はむしろ苦手だった緑の匂いは、どうしようもなく、私を絡めつけて離さないのだ。

 
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 その後の展開では、「森の匂いがする」以外の音を外村が感じとることになる。そしてその音もまた、わかるようなわからないような、でもきっと想像もつかないほど美しいものであろう。

 

 ピアノの音を外村が匂いで表現しているように、この物語では、決して完全に同じにはならないはずの五感の全てが、どこかで交わりあって素敵なハーモニーを生んでいる。そしてそれは、必ずしも優れているととは限らないはずなのに、人は惹かれて止まない。

 

 売ってしまった私と姉のピアノは、今どこかでまた誰かに調律され、音を奏でているのだろうか。できるのなら、外村が感じたような森の匂いがする音を奏でるピアノに生まれ変わっていればと思う。

 

 どこかで食べたことがあるような、でも初めてのような、そんな温かな料理のような物語でした。ごちそうさま。

 
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参考文献
「羊と鋼の森」
宮下奈都 著
文藝春秋
2015年9月15日 発行

 

撮影協力:VSPピアノ工房 http://vspmusic.net/koubou/

 

 

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