2016.06.01

斜陽

やすこな本棚 第四回

 
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 男と女が触れ合うことで生まれる何かがあるように、「触る」ということは人間関係で重要な意味合いを持つように思えてならない。実際に、嫌いな人には触りたくないという感情を抱きやすいし、距離を縮めたいと思う人には積極的に触ることも多くみられる。

 

 触感は五感の中でも、異色のもののように思う。例えば嗅覚や味覚ならば、良いか悪いか甲乙がつきやすいのに、触感はその基準となるものがひどくあいまいだ。そこには根底となる想いや「こうであるはずだ」という決めつけが深く関係しているのではないだろうか。

 

 今回、この触覚に携わる1冊として紹介したいのが、太宰治作品の中でも1位、2位を争う暗さでも有名な「斜陽」である。主人公かず子と母親、弟の直治、そして直治の文学の師匠である上原が織りなす、戦後の日本における貴族の葛藤を描いた作品、「斜陽」。直接的な触感に関する記述は少ないにせよ、感情的な触れ合いのシーンが多いこの作品を、ぜひ紹介していきたいと思う。

 

“そうして私の胸の中に住む蝮みたいにごろごろしてみにくい蛇が、この悲しみが深くて美しい美しい母蛇をいつか、食い殺してしまうのではなかろうかと、なぜだか、なぜだか、そんな気がした。”

 

 蛇の卵を焼いてしまったかず子は、蛇を神聖視する母の静かな怒りを買ってしまう。卵が焼かれたとも知らず、卵を探し続ける母蛇を母親に見立て、自身の胸の中には蝮が住んでいる、というかず子。

 

 もちろん、実際に胸の中に蝮を飼うことなどできない。しかしそう言わしめる何かがかず子にはあり、実際にそういった感触を味わっているとしたら、それは蛇の表面が擦れるような気持ち悪さなのかもしれない。そういった感触は、私としてはできれば生涯味わいたくはないが、胸に飼っているかず子はそうはいかないのだろう。常にぬめぬめとした感触を味わっているのである。そしてその蛇は、今か今かと和子の最愛の母を食い殺そうとしているのだ。

 
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 一度は嫁いだかず子だが、折り合いがつかなくなり家に戻ってしまうことになる。しかしかず子はその後、恋に落ちる。その相手こそ、弟・直治の師匠である上原だった。

 

 かず子が上原へと何枚か手紙を送るシーンが、本作品の中でも強いインパクトを受けた。またその手紙の中を含め、かず子の上原への恋情には、様々な触感に関係した記述がみられる。

 

 たとえば、上原からのキスだ。全部でたった2回のキスの描写だが、それぞれ感じていることが全く異なっている。

 

 最初のキスにおいて、かず子は固く口を閉じてそれを受けた。そしてかず子はその後、上原を慕うようになり、この時かず子は自身の気持ちを「不思議な透明な気分」といっている。これはかなりの好印象で受けた接触だったのである。

 

 しかし2回目のキスは、全く異なる心情で受けることとなる。これは「性欲の匂いがするキス」で、受けながらかず子は屈辱の悔し涙を流してしまうのである。

 

 キスやハグをすることで、その人のストレスが緩和され幸せだと感じるという話はよく聞くが、それはあくまで好意を持っている相手だということを、はっきりと知らしめる描写のように感じる。かず子が待ちわびていた上原からのキスは、いつのまにか幸せのものではなく屈辱的なものへ変わってしまったのである。

 

 キスはいわば自分たちの入り口部分を接しあう行為だ。人によって感じ方は異なるし、もちろん感触も違う。ロマンチックなものもあれば、かず子のように屈辱を感じるものもある、感情的な触れ合いだ。

 

 触れ合うことは、自分の嫌な部分と良い部分を、無造作にさらけ出すことでもあるのではないだろうか。触感は、自分の感情・感じ方一つで全く異なるものになるのである。そう考えると五感の中でも一番気難しいものが触感なのかもしれない。

 

 胃もたれを起こしそうなのに、病みつきになる後味がする一冊でした。余韻を楽しみたいと思います、ごちそうさまでした。

 
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参考文献
「斜陽」
太宰治 著
新潮文庫
昭和25年11月20日発行

 

 

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