2014.04.25

絶望的に救いのない映画の中のカフェオレ色のシトロエンDSと宿命的なモンブラン149

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万年筆[第4回]

 10年くらい前に、僕はパリから東京へ向かう機内でその映画を見た。そんなシチュエーションで見るにはそもそも無理のある題材(フランスの気性の激しい刑事が恋人との思い出深い東京にやって来る話)だったということもあるけれど、すごく控え目にいって絶望的に救いのない映画だった。本当にあの「グラン・ブルー」のリュック・ベンソンが製作したのだろうかと思うほどに。しかもジャン・レノが主人公の刑事を演じている。唯一の救いは刑事の東京の旧友が乗るカフェオレ色のシトロエンDSだ。「1955年から見た未来のクルマ」のような非常に個性的だけど、ある種の洗練を感じさせるデザインを持つ世にも美しいクルマだ。

 映画の冒頭、刑事は取調室で被疑者を尋問しながらモンブランのマイスターシュテュック149と思われる万年筆をポケットから取り出す。被疑者は「すてきなペンね」という。すると刑事は、「もらいものさ、ここって時に使う」と答え「心から愛したただ一人の女にもらった。彼女は突然姿を消したけれど…思い出の品さ」と続ける。そしてラストシーンで刑事は、女の忘れ形見である広末涼子演じるその娘に「ママのペンを20年使った。今度はお前の番だ」と空港でその万年筆を渡す。

 万年筆という名称については諸説あるけれどメインテナンスをしっかり行えば100年は使えるという話を昔どこかで読んだ記憶がある。万年はおおげさにしても、人の一生分は充分に使えるというわけだ。映画の中で娘は20歳になったばかり。おそらく彼女は死ぬまでモンブランを使い続け、そして彼女のやがて生まれ来る子に、それは受け継がれていくに違いない。





受け継がれいくもの

万年筆は、その時々の人々の想いを紙に記していく。
そこには、永遠の愛の誓いや、心踊る旅もあるだろう。
叶わなかった夢や、果たされなかった約束もあるだろう。
けれど、それらのすべてはやがて追憶となり、虹の彼方に消えてゆく。

でも、万年筆は覚えている。
それは、神が万年筆だけに与えしものだから。

(文・久保田雄城/写真・塩見徹)

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シリーズ「万年筆」了。次回のテーマは「ノート」です。