2014.04.04

カメラマンの小脇に抱えられた「THE PEN CATALOGUE」、万年筆がマニアックな人々の為のものという誤解

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万年筆[第1回]

 万年筆って意外と書き方というか使い方を知らない人が多いようだ。先日も知り合いと話している時に、「ちょっとペンありますか?」と言われたので、最近の僕のお気に入りの黄色いペリカーノジュニアを貸してあげた。彼はメモに、それで書き込もうとするけれどなかなかできない。見ているとペンの角度がおかしいし、筆圧も強いのかもしれない。結局、彼は書き込むことを諦めてしまった。

 彼は30代前半のカメラマンで、いつもファッショナブルな着こなしで、撮る写真もすごく洗練されている。だからそんな彼が万年筆を使いこなせない様に、僕は正直、少々驚いた。でも女友だちにその話をすると、「大抵の人は、今の時代、万年筆なんて使わないわよ。使うのはあなたみたいにマニアックな人が中心でしょ。ボールペンのほうが楽で便利だしね」と言う。

 そうか、そういうものなのか。オッケーわかった、そういうことなのだろう。
でも、と僕は思う。そりゃあ、ボールペンのほうが便利なのは百も承知だ。合理性、利便性、確かにその通りだ。

 でも、と僕は世界で一番素晴らしい筆記用具は、万年筆だと思っている。ペン先は使い込めば込むほど自分の書き方に馴染んでくれて、いつしか分身のようになってくれる。自分で選んだインクの濃淡は目を楽しませ、ささやかな筆の音は耳を捉え、インクの匂いにイメージを膨らませ、優雅なグリップ感を手に感じることができる。

 そう、五感にダイレクトに訴える筆記具だ。もっとも、毒性を承知の上でインクを飲むという酔狂なことでもしない限り、味覚には響いてはこないのだが。そして適度の重さによって少なくとも僕にはボールペンよりも書きやすい。つまり書かれる字も奇麗になるということだ。

 人生に万年筆が無くたって、それが大きな問題となることはないだろう。けれど、もしも万年筆があれば、その人生は今よりも少しだけ愉しくなる。


久しぶりに再会したカメラマンは小脇に「THE PEN CATALOGUE」を抱えていた。拘りのある一部の人々の為だけに万年筆はあるのではない。




(文・久保田雄城/写真・塩見徹)