2015.02.06

彼女が微笑むだけで、僕は天にも昇る気分になるんだ(前編)

コンパス[第1回]

 

最初は何だか面白い女の子だなと思っただけだった。小柄で1960年代や70年代のブルースが大好きで、ストレートのロングヘアはどこまでも艶やかで美しい。ちょっと不服だと口を尖らせる少しだけ魂に傷がついている女の子。着ているフェイクファーコートは1300円の白と黒の格子柄の古着だけど、黙っていればコムデギャルソンに見えた。しかし恋愛感情を持つには、彼女は若すぎた。なんたって33歳も下なのだ。話にならない。ウディ・アレンの妻は35歳下だけど、僕はもちろん彼とは違う。ただの年老いた少年みたいなものだ。でも彼女とエルメスに映画を観にいったり、夜更けの六本木を手をつないで歩いたり、朝の6時に松屋でビールを飲み交わしている内に、そんなことはもうどうでもよくなってきた。宿命的に恋に落ちていた。

 

彼女は猫みたいな子だったから、僕が追いかければ逃げるし、放っておくと寄ってくる。そんなたわむれをいくどか繰り返したあと、僕らは週末の夕方前に西麻布の交差点で待ち合わせて、ふたりでナショナル麻布スーパーマーケットに買い出しに出かけた。

 

バーボンやらローストビーフやらお菓子(これは彼女のリクエスト)をたくさん買い込んで、早春の外苑西通りをオンボロのマツダの幌を下ろして走った。彼女の黒髪が、冷ややかでひきしまった風にそよいで街は黄昏れた。

 

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その夜、僕の家で一緒に料理をしながら飲んだ。ふたりだけのパーティ、まさにそんな感じだった。政治からセックスに至るまでいろんな話をした。そのようにして僕らは恋人のような関係になった。そう、あくまで「ような」だ。だって親子ほどの年の差だから、彼女を独占して、彼女の未来に可能性を閉ざしてはいけないからね。そう僕らは自由だ。そして、それが僕らのスタイルだ。

 

彼女は建築学科の大学生で、僕の家の、西日が射す大きな机でよく勉強をする。コンパスはFABER-CASTELLを使っている。鉛筆が有名なドイツのブランドだけど、コンパスもいかにも質実剛健で機能的なデザインだ。

 

(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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