- 2015.01.30
大寒から眺める中断される夏と色鉛筆、もしくは厳冬の日比谷公園から
色鉛筆[第4回]
記憶が曖昧だが、北野武の映画で、色鉛筆でサラサラと描かれる絵で始まる作品があったはずだ。東京から台北だか沖縄へ旅する物語だったと思う。
舞台そのものも夏だったが、そのオープニングがすでに強烈に盛夏を感じさせてくれた。
ところで、今日は大寒だ。空には低くグレイの雲が垂れ込める日比谷公園にいる。外務省との打ち合わせの後に、次の銀座での待ち合わせまで、ぽっかり空いた時間を埋めるためにここへやって来た。
霞門から園内に入って、鶴の噴水を左に眺めながら、大音楽堂、図書館、公会堂を抜けて
ぐるっと左周りに歩く。平日の午後、そして凍てつくような寒さのせいか、この都心の広公園には、ほとんど人がいない。池にはところどころ薄氷が張っていた。
そう、大寒は暦便覧で「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明されている。確かにその通りだ。昔、そう言えば、友人は大寒の水は1年経っても腐らないと教えてくれた。もちろん真偽の程はわからないが、確かにそうかもしれなと思えるほど水は冷たく透き通っている。
にれの木広場を北へ歩くと、日比谷通りの向こうには帝国ホテルが見える。ニューヨークのセントラル・パークやロンドンのハイド・パークに比べれば、あまりパッとしないと言う人もいる。でも僕はこの実に箱庭的な公園が好きなのだ。そして冬も好きになろうと思いながら、僕はコートのポケットに手を突っ込みながら公園を歩く。決して猫背にならないように。
けれど、うまく冬を好きになることはできなかった。
僕はやはり夏に憧れてしまう。
そして最も象徴的にそれを表現するものの一つに北野武のその映画がある。
僕らの生が最も謳歌されるのはやはり夏の盛り、盛夏ではないだろうか。
でもいつも盛夏は中断されてしまう。ただ、その救いとして夏をカラフルにしてくれる道具の一つに色鉛筆があることは間違いないだろう。
(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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