2016.09.14

ジュリア・マーガレット・キャメロン展

2016年9月2日(金) 鈴木嘉和

 

現実から軽やかに跳躍してゆく19世紀写真家

 

スマホを使って指先ひとつの操作で写真を撮ることが可能となった現在、約150年前の人々にとって写真という存在がどれほど貴重で贅沢なものだったかを私たちが想像することは難しい。今回、私が訪れたのは、1枚の写真を作るために化学実験のような慎重さが求められた、そんな時代の写真作品が並ぶ展覧会だ。

 

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写真作品の劣化を防ぐため、照明の光量が落とされた薄暗い室内には、どことなく物憂げな表情をした女性たちのポートレート写真が並んでいる。カラー写真など存在しない時代なので、イメージはどれもモノクロだが、経年のために茶色く変色し、いわゆるセピア調の写真であることがまた時間の経過を感じさせ、優しく懐かしい風合いを醸し出している。

 

写真家の名前はジュリア・マーガレット・キャメロン(1815〜79)。19世紀のイギリスで活躍した写真家だ。社交の日々を送るほど経済的に余裕のある階級を生きていた彼女は、48歳の誕生日に娘夫婦からカメラをプレゼントされる。カメラといっても当時のそれは、とても大きく高価なもので、庶民はもちろんのこと、それなりに裕福な家庭でも手に入れることの叶わない贅沢品だった。その時はじめてカメラを手にしたキャメロンは、驚くことにその後、独学で写真家への道を歩み始める。

 

彼女が最初に手にしたカメラは、38 x 30 cmほどの大きなガラス板に溶剤を塗ってネガとする、コロディオン湿板式と呼ばれるものだった。撮影から現像・定着に至る全工程において、溶剤の均一性や温度管理、ホコリに細心の注意が必要とされる。カメラが大きいため手持ち撮影など不可能で、露光も今では考えられないほど長い時間が必要だった。そのためモデルは、露光中はいっさい微動だにできないのだが、たいがいの人はそんな大道芸人のような芸当を持つわけもなく、ブレて写ってしまい失敗に終わることが多い。そこで、頭を固定するなど、鮮明な像を写真に収めるための対策がいろいろと講じられていた。

 

ところがキャメロンの作品には、当時誰もが求めてやまなかった像の鮮明さとは対照的に、失敗とされるようなブレやボケを伴うポートレート写真が数多く残されている。なかでも目を引く特徴は、ソフトフォーカスとイメージ操作だ。ソフトフォーカスとは、手法は様々だが、被写体をぼんやりと柔らかい輪郭で写しとることを指す。彼女が独学だったことを考えれば、ソフトフォーカスは当初、ピンボケのような技術的未熟さから生じたものだっただろう。しかし、彼女はそうした未熟さを失敗と捉えず、ソフトフォーカスをポートレート写真の新たな手法へと築き上げることに成功している。ソフトフォーカスに包まれたモデルたちの表情を眺めていると、ぼんやりとした靄の中をさまよい歩くようで、捉えどころのない彼女たちの心の揺らぎが伝わってくる。

 

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ジュリア・マーガレット・キャメロン《ベアトリーチェ》1866年, 35.3 x 28.1 cm、アルビューメンプリント。
ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵
© Victoria and Albert Museum, London.

 

そして、もうひとつのイメージ操作。写真の誕生以来、ちょっとした補正はつきものだったが、キャメロンが加える操作はとても大胆なものだ。たとえば《The Double Star》のように、技術的な失敗とも思える偶然を利用した作品や、ネガに傷を直接入れて、写真とイラストを融合したハイブリッドな作品もある。《The Double Star》では、溶剤のムラや気泡によって、子どもたちが水晶玉の中に浮かび、薄い膜で守られているかのような印象を受ける。まるで胎内にいるかのようにも見え、とても幻想的だ。

 

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Julia Margaret Cameron, The Double Star, 1864, 25.3 x 20 cm, Albumen print.
© Victoria and Albert Museum, London.

 

現実の鮮明な似姿を残そうと必死になっていた同時代の写真家たち。彼らを尻目にキャメロンは、写真の発明からわずか数十年にして、写真というメディアを横滑りさせてゆく。現実から軽やかに跳躍してゆくその姿は、スマホアプリで写真の修正・加工を気軽に行う現代の若者たちと重なり合ってくるようにも思える。しかし、機械的なスマホアプリには、キャメロンが呼び込んだような偶然や失敗が入り込む隙間は残されていない。それは、幾重にもわたるアナログな手作業ならではのものだろう。そうした手作業は、彼女が介在した痕跡としてモデルたちとともに焼き込まれ、彼女の作品に何とも心地よく柔らかな温もりをもたらしている。

 
 

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「From Life―写真に生命を吹き込んだ女性 ジュリア・マーガレット・キャメロン展」
会期:2016年7月2日(土)〜9月19日(月・祝)
   10:00〜18:00(金曜、第2水曜、会期最終週平日は20:00まで)
   月曜休館(但し、祝日と9月12日は開館)
   ※入館は閉館30分前まで
場所:三菱一号館美術館
一般1,600円、高校・大学生1,000円、小中学生500円
http://mimt.jp/cameron/