2016.04.20

雑貨展

“雑貨”ってなんだろう?

 

2016年4月7日(木) 佐藤愛美

 
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満開の桜が見頃を終え、雨によって花びらが散り始めていた。平日であるにも関わらず、多くの人で賑わう東京ミッドタウン。散りかけの桜が大きなタワーのアクセントとなり、ミッドタウンの洗練されたイメージをより強めていた。

 
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今回の目的地はミッドタウンの一角にある「21_21 DESIGN SIGHT」。
まず目に飛び込んできたのは、まるで地面から突き出したような三角形の大きな屋根。ちょっと変わった形のこの建物は、日本を代表する建築家・安藤忠雄氏によって設計され、デザインの視点からさまざまな発信、提案を行っている施設だ。館内に入ってみると、地下に展示室が広がっているという、これもまた珍しい作りである。地下へ降りる階段の横には、とても長い窓ガラスが嵌め込まれていたり(なんと11メートル!)、建物全体を通してデザインへのこだわりが窺える。

 

 

現在、21_21 DESIGN SIGHTで開催中の展覧会は「雑貨展」。

 

雑貨……と聞いて私の頭の中に浮かんだのは、食器にインテリア小物、文房具、ハンカチやキーホルダー。
雑貨とは何か?と問われた時、「家にある、小さくて、普段使うようなもの?」と不明確な答えしか出せないことに気づいた。果たして雑貨とは何なのか。「雑貨展」では一体どんな「雑貨」が展示されているのだろう。その答えを確かめるために、地下に広がるギャラリーへ足を踏み入れる。

 
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最初に現れたのは、「松野屋行商」という大きな作品。明治時代の日用品販売車を再現したものである。荷車に目一杯つまれたバケツやほうき、長靴、かごなど、かつての日本では一家に一つはあったであろう品々。当時、これらの道具は「荒物(あらもの)」と呼ばれていた。実際使ったことがないような物もあったが、荒物の集合体は、展示の導入に相応しい強烈なインパクトを与えてくれた。

 
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衝撃的だったのが、こちらの年表。日本の歴史の移り変わりとともに、人々の暮らしを象徴するものたちが時系列で並べられている。
昭和初期の雑貨は、いわゆる日用品であり、人々の生活とともにあった。しかし、スマートフォンやパソコンなどが生活と密接に繋がった現代では、雑貨というものの有り様も実に多彩に広がっている。実用性がなくとも、1つ持っていると豊かな気持ちになるアイテムまでも含まれる。
その時代によって、「雑貨」と呼ばれるものは全く異なるということが分かった。
雑貨の定義とは一体何だろう……?年表を見ながら、改めて考えさせられることとなる。

 
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壁いっぱいに書かれたチャートの作品「終わらない自問自答」。最初の質問「『理想の暮らし』は買いたい」に出会った時点ですでに、YesかNoか選択に悩む。
「時間よりお金が大事」「買い物上手なほうだ」と自分のYes/Noを考えながら進んでいくうちに、普段、自分が何に価値を置いて生活しているのかが見えてくる。そして最後には、また同じところに戻ってきてしまった。
まさに「終わらない自問自答」だった。

 
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こちらは「雑貨展」の企画チームの方々が持ち寄ったという選りすぐりの雑貨たち。
鉛筆、絵画用ブラシ、コップ、歯ブラシ立て、ノート、風呂椅子。各々に、雑貨だと考えているものを持ち寄って思い思いに並べたそうだ。
「あ、これは知ってる!」「これは見たことがないぞ……」と、ひとつひとつ興味深く見入ってしまった。同じ分野で揃えられているわけでも、大きさ順に並べられているわけでもなく、多種多様な「雑貨」が所狭しと並ぶ。「お手を触れないでください」と注意書きがされていなければ、手に取ってその場で使ってみたくなる。初めて出会うアイテムもあるのに、ついつい触りたくなる馴染みやすさがあった。

 
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デザイナーやスタイリストの展示が並ぶ中で、衝撃を受けたのがこちら。デザイン活動家のナガオカケンメイ氏とD&DEPARTMENTが制作した【架空のコンビニ】d mart used D&DEPARTMENT PROJECTが考えるコンビニエンスストアである。「必要以上にあったり、使わずにずっと置いてある生活用品」を持ち寄り、コンビニの商品として再構成したそうだ。使いかけのメモ用紙、家の物入れにストックされてそうな軍手や電球など、巷のリサイクルショップとはまた違った趣がある。昔の品物もあれば、流行りのカフェで使われているような紙コップも同時に陳列されている。コンビニ仕様の什器に「きちんと」並べられているはずなのに、デザインも大きさも使われていた年代もすべて異なっており、均一ではない。そんな「不揃い感」に再び馴染みやすさを感じた。

 

持っているけれど使っていないものは、身の回りに溢れている。普段は気にしていなかったが、我が家にも大量の封筒のストックや、未使用のまま何年も使っていないタオルがある。
現代を生きる私たちが、雑貨とどのように付き合っているか、そしてどのように扱っているかを考えさせられる展示だった。

 
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世界中から集めた木の雑貨、スタイリストが仕事で使った雑貨、昭和の時代に登場したお菓子のパッケージや、おもちゃのパーツなど。各分野のプロフェッショナルたちが、それぞれのテーマに基づいて選んだ雑貨たちは、見る人に何とも言えない感情を呼び起こす。私は、食パンの袋をキュっと留めるプラスチックのアレ(名前は分からない)が展示されているのを見た時、強い親しみを感じた。いつも身近にあるものが「作品」として展示されている不思議さ。やはり「お手を触れないでください」と禁止されていなければ、手に触れてしまっていたと思う。

 

「雑貨とは何か?」。私にとって雑貨の定義は、「愛すべき身近にあるもの」なのかもしれない。崇めることも集めることもしないが、気づくと身近にあって、つい触ってしまうようなもの。もしかすると50年後には、パンの袋を留めるアレがヴィンテージのお洒落な雑貨というカテゴリーに分類され、若者たちに好奇の目で見られているのかもしれない。ほぼ平成の時代に育った私が、缶ジュース専用の小さな缶切りを知らなかったように、世代によってその雑貨に対する思い入れは異なるようだ。

 

我々の物に対する価値観は、時代と共に変化する。
この記事を書いている今、右を向いても左を向いても私の周りは雑貨で溢れている。使っていない物も押入れの中にたくさんある。
雑貨展を訪れてから、身の回りに点在している雑貨を意識して手に取るようになった。本当の豊かさとは、たくさんの物に囲まれることではなく、ひとつひとつの物に対して愛情が持てることなのかもしれない。「物を大切にしよう」という感想では月並みかもしれないが、生きる上での基本に立ち返ったような気がする。

 

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21_21 DESIGN SIGHT企画展「雑貨展」
会期:2016年2月16日~6月5日
   10:00~19:00(入場は18:30まで)
   火曜休館(5月3日は開館)
会場:21_21 DESIGN SIGHT(東京ミッドタウン・
   ガーデン内)
http://www.2121designsight.jp