2016.02.10

マトリョーシカとロシアの玩具

マトリョーシカに果てなき諸行無常をみる

 

2016年 1月25日(月) 石川 聡子

 
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 寒波だ大雪だと騒々しかった週末明けの昼どき、四谷。街も人も平常運転で週末の騒ぎが嘘のようだが、陽の当たらない道端に残るわずかな雪がかろうじて騒ぎの痕跡を証言する。オフィスビルやビジネスホテルが立ち並ぶ新宿通りを西に道なりに歩き、ふっと横道にそれて少し歩いていくと、右手に小学校らしき建物がみえてきた。大きな垂れ幕がかかっていたので、そこが目的地である東京おもちゃ美術館だということが遠目でもすぐにわかった。鉄筋コンクリートの軒下に、ベビーカーがずらりと並ぶ。
 美術館にきた、という感覚はほぼゼロである。近くの小学校でなんかのイベントがあるらしいからちょっとのぞきにきた、というほうが近い。学校(“元”がつこうがつかなかろうが)の敷地内に入るというのがまず普段にはない新鮮な体験だ。子どもがいるわけでもないのに、勝手に授業参観に来た母親のような気分になる。教室、下駄箱、階段、むき出しの蛍光灯…。自分も昔はこういう場所で駆け回っていたんだよなあと今度は子ども時代に還ってみる。懐かしい気持ちになる場所はどこだって無条件で心地がよい。

 
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「こっち」と矢印に示されたとおりに階段をのぼり、「きかくてんじしつ」と平仮名で書かれた奥の教室に進む。“元”教室に立ち並ぶガラスのショーケース。一気に美術館の様相を呈してきた。整然と並べられたマトリョーシカは、頭にショール(プラトークというらしい)を巻いた少女が描かれた定番ものから、ネコやカエル、テントウムシといった変わり種まで、実にさまざまだ。マトリョーシカをしげしげと眺めるまたとない機会にうっかり時間を忘れそうになる。近くで鑑賞していた子どもを連れた若いお母さんは「カワイイ!」を連呼していた。おもちゃに興奮するのは子どもだけの特権ではないようだ。

 
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 可愛らしいモチーフばかりと思いきや一転、気難しい顔をしたおやじマトリョーシカに遭遇する。皮肉にも、マトリョーシカの丸みを帯びたフォルムが中年のメタボ体型にしっかとハマっている。冷戦時代には政治家をモデルにしたマトリョーシカが盛んに作られたそうだ。子どもの玩具という隠れ蓑を使って巧みに政治を風刺するロシア人のシニカルな生態に興味がわく。
 なかでも一番驚いたのはメイドイン・インドのマトリョーシカだ。地理的にも文化的にもロシアとかけ離れたインドでマトリョーシカが作られていたとは意外だ。シバ神などのロシアにはない、まさしくインドなモチーフが描かれている点が興味深い。他の国がマトリョーシカを作るとこうなるのか、というのがよくわかって面白い。真っ黒の球体に惑星が描かれたシンプルな宇宙タイプには、インドならではの哲学的思想が感じ取れる。ちゃっかりインドにはないはずの雪だるまやサンタクロースタイプも作っているところが何ともお茶目だ。見知らぬ異国の地への思い(憧れといってもいいのかもしれない)を馳せて作ったのだろうか。

 
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 一部の玩具は教室の一角にあるフリースペースで実際に手に取って遊ぶことができ、その意匠の凝った作りに思わずおぉ、と声が出る。展示会のあいさつ文にあった「人間が初めて出会うアートはおもちゃ」という言葉がイキイキとしてくる。幼年期のおもちゃとの出会いが後年に及ぼす影響は、思っている以上に大きいのかもしれない。当時は当たり前だがそんなこと知る由もなかった。そう考えると、自分が子ども時代にどんなおもちゃに触れ、どんな風に遊んでいたか、必死に思い出さずにはいられなかった。
 幅広い種類の民族衣装で着飾った人形たちをみたときには、ロシアの大国ぶりに呆然となったが、素朴な木彫りの熊をみたときは、思わず鮭をくわえた例のアレ(北海道土産で有名なアレ)を思い浮かべた。こけし起源説をもつマトリョーシカもさることながら、日本とロシアの間にある目に見えない縁に不思議な感覚を覚える。遠く離れた異国の誰かが、じつは自分と同じ感じ方や考え方をしているかもしれない…という途方もない想像を巡らせ、行ったことのない異国のおもちゃに新たな視座を教わった気がしながら、私は“元”教室をあとにした。

 
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 展示室以外にも「ゲームのへや」や「木育ひろば」など、おもちゃ美術館にはみどころが多い。築80年の廃校をもとのつくりを生かすかたちで再利用している点も面白い。子ども向けのイベントも定期的に開催されているようで、平日でもたくさんの親子連れでにぎわっているのがよくわかる。ファンは多く、運営を支えているボランティアスタッフの中には遠方から通っている人もいると聞いた。
「おもちゃを媒介にして、コミュニケーションの場が作れれば」と広報の岩穴口(いわなぐち)さんは語る。親子連れを主な対象としつつも多世代間の交流を目指し、「子どもと一緒に大人も楽しめる」をコンセプトにしているそうだ。実際に美術館のロゴや空間設計など、大人も目を止めるようなスタイリッシュなデザインでつくられている。
「廃校」という単語はなんだか都会には似つかわしくないような気もするが、都心といえどもオフィス街として発展した地域ではありうる話らしい。ちなみに新宿区では2校あるそうで、もう一つの校舎はあの吉本興業のオフィスとして再生されている。そういえば神田にあるアーツ千代田も元中学校だった。たくさんの子どもたちを送り出した学び舎で、今度は老若男女がまた別の形で多くを学ぶとは誰が想像しただろうか。蓋を開ければまた何かが出てくる。諸行無常の運命はまるでマトリョーシカそのもののようである。

 

 
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マトリョーシカとロシアの玩具
前期・2015年4月11日(土)~9月27日(日) 後期・2016年1月11日(月)~4月10日(日)
東京おもちゃ美術館
http://goodtoy.org/ttm/index.html