GENRO

2019.08.07 GENRO

やすこな文房具　第十二回

　上井草駅の南口を出て徒歩5分程度。なだらかな坂が続く通りを進むと、木々に囲まれた「GENRO」が見えてくる。一見すると小さな美術館のようなここは、カフェが併設された文房具店だ。

　文房具店の方はこじんまりとしているが、スタンプが整然と陳列されていて見やすいし、どこか落ち着く雰囲気が漂っている。スタンプの絵柄があしらわれたレターセットやはがきなどのラインナップも充実していて、なかにはウエディングの席次表などもあった。「GENRO」のスタンプは伊東屋など大手文房具店でも購入できるが、いろいろな絵柄を見比べてお気に入りを見つけたいという方はぜひお店に訪れてみてほしい。

　どこか耳馴染みの良い「GENRO（玄廬、ゲンロ）」という店名は、店主であり代表取締役でもある千葉皓史さんの篆刻家として号なのだそう。

「文房具の小売店に勤めていた頃に結婚し、近況報告を兼ねて自作の木版ハガキを出すようになりました。そのハガキが、店のお客さんとして来ていた篆刻家や俳人の先生の目にとまり、篆刻と俳句を本格的に習うようになったんです。やがて、俳句の季語をモチーフに絵の判子（＝肖生印・肖形印）を彫り始めました。それを48個くらい作ったところで『売りませんか？』と声をかけていただいて。最初は値付けもわからない状態でしたが、まもなく銀座の伊東屋さんをはじめ全国の色々なお店に置いてもらえるようになりました」

　お仕事はずっと順調というわけではなく、時代の波の影響を受けたこともあったそう。しかし最近は海外からのお客さんからの需要が増えたという。

「海外から来た方が日本らしいものを求めるというニーズに、うちの商品がマッチしたのだと思います。ひとつひとつに季節感や物語というコンテンツが含まれているという点も、今の時代の価値感に合っているのかもしれません」

　スタンプは雪だるまや銀杏、獅子舞など季節感のある絵柄から犬や猫、お地蔵さん、お相撲さん、花喰鳥など種々さまざまに揃っていた。今の時期にピッタリな夏を感じさせてくれる蚊取り線香やカブトムシ、くじらなどの絵柄も充実している。

「最初はユニバーサルな作品世界を目指していたのですが、気付いたら馴染みのあるローカルな絵柄ばかりになっていました。絵柄は石材印に彫った印影に基づいています。むかし篆刻家の先生に『書くように彫りなさい』と習ったことがあり、それは篆刻にしかできない自由な表現を見つけなさいという意味だったと思います。俳句もまたしかり、俳句にしか出来ない表現を目指すものです」

　ちなみに千葉さんは上井草でまちづくりにも取り組んでいる。お店の建物と植栽は2006年に『杉並まちデザイン賞』を受賞しており、そこから『かみいぐさ雑木みちproject』が始まったことで街には植栽が増えたそうだ。実際に街中を歩いていると「GENRO」と同じ特徴的な「株立ち」のみどりが作りだす、親みのある、見え隠れの空間にあちらこちらで出会う。

　建物自体は最初は千葉さんのアトリエだったそうだが、現在は文房具店とともに「genro & cafe（ゲンロアンドカフェ）」という美味しいランチやディナーをいただけるカフェも併設されている。特にランチは週替わりで3種のパスタ、スイーツとが用意され、平日のお昼時は地元の方がこぞって訪れるという。内装もおしゃれで居心地の良い雰囲気が広がっているので、確かにリピーターは多そうだ。私も家の近くにあったら絶対に週2で通う自信がある。

　この日頂いたのはランチのジャコ、水菜、みょうがのオイルパスタ。オイルパスタだけどさっぱりとしていて、みょうがやトマト、水菜などの野菜の味や食感もしっかりと楽しめて大変美味でした。スープもたっぷり目なので、追加でオーダーできる自家製丸パンとの相性も絶対に良いと思う。今年の夏を目途に一度リニューアルの予定があるそうなので、気になる方はぜひ早めに訪れてみることをおすすめする。

　普段スタンプひとつに思いを馳せることはあるだろうか。私自身、今まで生きてきた中で、スタンプの絵柄を見て「可愛いな」「綺麗だな」と思ったことはあったかもしれないが、そのひとつひとつに込められた季節感や物語までをしっかりと捉えたことはなかったと思う。

　季節に合ったもの、お気に入りのものを、大切な誰かや自分のために使う大切さを改めて実感できたお店でした。

文：橋詰康子 / 写真：西原樹里