- 2014.10.10
貧乏臭い蛍光灯 フェラーリをお持ちなんですか ディテールが美しいデニム 高速道路のゆるやかな渋滞(前編)
ボールペン[第1回]
「最初にあらわれた変化は、物事に執着することがなくなったということです。目の前に今あるものや事は大切にしていますが、それでも離れていくものに対しては、縁がなかったのだと素直に考えることができるようになりました。おだやかに、それを手放すことが出来るようになったのです」。男はまっすぐに僕の目を見ながら話した。
東京から京都へ向かう高速道路のサービスエリア。僕は友人に会いにいくために、夜行バスを利用していた。しかし道の途中でバスのエンジントラブルが起り、乗客全員がクルマから下ろされて代車が来るのを僕は休憩所で待っていた。水曜日の朝、午前三時だ。バスの搭乗員から缶コーヒーが振る舞われ、貧乏臭い蛍光灯の下でそれを飲んでいた。
正面に座った同じバスの男が、鍵束をテーブルの上に無造作に置いた。繋がれた3つのキーの内の一つは、フェラーリの紋章の入ったものだった。話し相手が欲しかった僕は、「フェラーリをお持ちなんですか」と尋ねてみた。すると、彼は2004年式の360モデナのオーナーだと言った。ソフィア・コッポラが、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞をとった作品の中に登場したモデルだ。色はブラックだった。
僕がそのブラックは「ステッドラーのトリプラス・ボールの黒のインク似ていますね」と言うと、彼は「ええ、ステッドラーのある種のインクのカラーはとてもフェラーリ的なんです」と答えた。僕はフェラーリ的とは、どういうことかわらなかったけれど、「ええ、そうですね」とあいづちを打った。
「それから、自然と煙草を吸わなくなりました。食事も一日二回になっていき、それまで好物だった肉もほとんど食べなくなりました。なんだか求道者みたいですが」と彼は静かに微笑んだ。
年の頃は、30代後半ぐらいだろう。これから男盛りを上りつめていくという確信を持った目をしていた。でもそれは控えめで注意を払わないとわからないレベルだったけれど。ファッションは、すごくお洒落とか、洗練されている、と言ったものではないけれど、きちんと哲学を持ったスタイルだった。
つまり、ありふれて見えるけど、ディテールが美しいデニム。プレーンだけどデザイン性の非常に高い白いシャツ。靴はアディダスとジェレミースコットのコラボレーションの白とチャコールグレイのもの、といったマテリアルたちだ。
(文・久保田雄城/写真・塩見徹)
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