2015.10.30

綴られた時間 第八回 音幻論

icon_time_08

音幻論 文・写真 塩見 徹

 

ph_ongenron_01

 

 都内のとある古書店が発行するオンライン目録で見つけ、その標題に惹かれて購入した幸田露伴の著作が手元に届いた。厚手の封筒にハサミを入れ、緩衝材の包装から出てきた「音幻論」。パラフィン紙に包まれた表紙と小口は、当然のように煤けていた。刊行から70年近くを過ごした書物としては、それにふさわしい佇まいだった。
 露伴はその活動期間中に構想した数々の論題を著書目録としてまとめていた。その目録は小石川の邸宅の一室にある硝子障子のそばに置いていたという。目録に記された論題の一つには、“音幻”があった。
 著述を始めたのは昭和十九年。すでに齢七十七となり身体の自由が利かぬ露伴翁は、当時出入りのあった編集者・土橋利彦に口述筆記してもらい、原稿を完成させた。それゆえ本書の標題紙には“露伴述”と記されている。
 雑誌での連載を経て1冊にまとめられた本書の刊行は昭和二十二年。それは太平洋戦争の終戦から2年後にあたる。戦中・戦後の物資不足は想像するに難くない。小石川での空襲体験。度重なる疎開。徐々に露伴の身体を蝕む病魔。音幻論にまつわる事実が解きほぐされるにつれ、目の前にある「音幻論」は、その素性を明かしはじめた歴戦の将士の佇まいを宿す。紙面の中に漉き込まれた木屑や粗い繊維滓、そして壁紙のような粗雑な見返し。現代人からすれば、その紙面は視覚的、触覚的には洒落たデザインと受け取ってもいいものだ。事物は常に転回しうる。

 

ph_ongenron_02

 

 書物が内包する非物質的な記録と物質的な記憶。あるいはソフトウェアとハードウェアの違いと置き換えてもいいかもしれない。前者はすなわち書物のテキスト自体によって伝達される情報である。故に電子書籍でも新装版の文庫本で読んでも構いはしない。他言語表記や音声情報によってさえも、ある程度の伝達は可能であろう。だが後者は、そのモノ自体、そのモノのみが記憶の伝達媒体となりえる。テキスト情報はあくまで副次的な情報に過ぎない。
 幼少の頃より数多の漢籍を読み耽り、日本古典にも精通した露伴。明治・大正・昭和の時代をまたいで文壇の第一線を歩み続けた孤高の文士が「音は幻である」という論考に至る幾多の例示と論証は、研究論文のそれである。音幻論によって露伴翁が記した論考が、小生の脳みその中にあるハードウウェア上にどのような形式で書き込まれたかは語るべくもない。目の前に存する「音幻論」は、古老が伝承するがごとく、ただ淡々と語り続ける。

 

ph_ongenron_03

 

“音幻論”
著者::幸田露伴
初版刊行年:1947年(昭和二十二年)
定価:六拾圓
出版:洗心書林
印刷:国際印刷株式會社
判型:四六判、 195ページ


人気の記事

Sorry. No data so far.

FaceBook