2015.08.28

綴られた時間 第四回 毃玉餘韵 全四巻

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毃玉餘韵(こうぎょくよいん) 全四巻 文・写真 塩見 徹

 

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囲碁の起源については諸説あり、紀元前四千年前のチベットともインドとも言われている。その定まることのない彼方の源流より今日に至るまで、方盤に陰陽一対の碁石を交互に置き進めるという手順は変わることはなかった。山を越え、海を渡り、時代が進んでも不変の手順には究極的な原理原則が宿っていると言ってもいいだろう。
日本でも古事記や風土記にはすでに「碁」の文字が見られるようになり、鎌倉時代には庶民の間でも嗜まれる遊戯となっていた。ことさら戦国時代には信長、秀吉、家康ら諸将によって囲碁は奨励され、本因坊算砂が初代名人碁所に任じられて以降、日本における体系的な囲碁振興が進み始めた。天下太平の江戸の世は、本因坊家を筆頭とする家元四家が研鑽を積み重ねるに必要かつ十分な時間と人材を授けた。それゆえ、日本の囲碁レベルは本家中国をしのぐほどになった。しかしながら囲碁の戦いは盤上を出ることは叶わない。江戸末期となると、庇護たる幕府の力そのものが弱まり、家元制度も体をなさなくなってゆく。嘉永六年ペリー来航、安政七年桜田門外の変、そして明治維新。備後国因島に生を受けた秀策が棋士として生きた34年間は、永きに渡り隆盛を極めた囲碁界が激変する直前の時代だった。

 

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囲碁は紙上に綴られる対象としては極めて馴染みがよい。縦横に座標軸を定めた升目の交点に、数字とともに真円を書き込んでゆく。その数字を追うことによって対局の一部始終を追体験することを可能とする。一葉に刻んだ一局の棋譜が出来上がる。その一葉には対局者の思念と思考の痕跡がつぶさに刻まれる。そしてまたその読み手に対しても、その一葉を前にして深く長く座することを求めるのである。これほどの読書を強いる誌面は、他に類をみない。頁を捲ると指にかすかなざらつきを残し、裏面を透けてみせる薄い美濃和紙に摺られた棋譜。「毃玉餘韵・全四巻」には、本因坊秀策の打碁100局の棋譜が掲載されている。
数々の逸話を残し神童と呼ばれた幼年期、坊門での破格の昇進、御城碁19戦無敗、そして若干34歳での逝去。秀策の死後38年を経た明治三十三年(1900年)に本書を刊行した石谷廣策の真意はともかく、秀策の記憶と記録が美しくアーカイブされたという事実が、この四冊なのだ。刊行から現代に至るまで、本書から薫陶を受けた棋士は数知れない。余韻は実体を持たず、媒質を通して伝播する。

 

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“毃玉餘韵 全四巻”
著者::石谷廣策
初版刊行年:明治三十三年(1900年)
発行所:方圓社
判型:美濃判 全四冊 百十三丁(226頁)


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